1984年にアルバム「Each Time」を発表後、音楽家としてはほぼ引退(35歳!)したあと、新作アルバムにもコンサートにも触れることは叶わなかったけれど、NHK-FM『アメリカンポップス伝』や古い日本映画のリサーチなど、大瀧さんがおりに触れて紹介してくれる個人的探求の成果を、彼のつくる”新曲”として、楽しんできました。

大瀧さんの死で未完結となってしまったさまざまな研究は、生前の彼と親交のあった方々によって部分的にでも引き継がれ、いずれその詳細が世に出されることもあるだろうし、ファンとしてはそれを期待してやみません。ただ、それらが大瀧さんの語り口……なによりあの声で聞くことは永遠に叶わないのだな、と思うと哀しくてならないのです。

文筆家としての大瀧さんについても同様で、彼の文章の明晰さ、ユーモアあふれる文体には多大なる影響を受けてきました。自作のライナーノーツ以外にも、彼のHP(Ami-go Gara-ge)へ気まぐれに掲載され、いつのまにか削除されてしまった膨大な文章が、いつか書籍という形でアーカイブ化されることを切望しています。

第一報以降、ネット上に溢れる追悼の声とおなじく、こんなに早く逝ってしまうなんて、という思いは強く、いまだに現実感が伴っていません。そんな今の気持ちを大瀧さんの歌から引用するなら、<さーみーしーいー>(バチェラーガール)というシンプルなひとことに尽きます。

音楽はその気になればここまで深く聴きこむことができるんだよ、ということを教えてくれた人こそ大瀧詠一さんです。もちろんこの音楽という部分を、小説、映画、野球、料理など、どんな言葉にでも置き換えられることも彼から学びました。
日々の真摯な研究と実践の尊さこそ、大瀧さんがぼくたちに示してくれた最大のメッセージだと思っています。ぼくはこれからも心のいちばん真ん中で彼から受け取ったものを大事にしていくつもりです。もちろん大瀧さんが残してくれたたくさんの音楽はいつだって最高の宝物です。

大瀧さん、ほんとうにほんとうにありがとうございました。