JYM

 広島県福山市で丸10年に渡って営業を続けてきたジムアンドレコーズがリアル店舗をクローズしました。
 最終営業日となった二月末日、ぼくも店へ駆けつけました。もちろんジムレコの二人───桒田くんと井上くんには内緒です。
 それは恵文社から帰った翌日のことだったのですが、午後に取材をひとつこなしてから、今治経由で福山行きの高速バスへ乗り込みました。オーバーコートのポケットにはヤマタツのライヴのときに購入したクラッカーをひとつ忍ばせて。
 西日も傾きかけた頃、お店のあるビルの入口へ到着。そして、この十年間で何度登ったのかわからないくらい通い慣れた階段をできるだけ静かに、ゆっくり上がっていきました。二階へと近づくにつれ、来客と談笑する二人の声が聞こえてきます。

「きっと驚いてくれるだろう」
 それなりのリアクションを期待しながら、無言でお店の中へ入ると、二人は一瞬ぼくを見、ちょっと気の抜けた声で「どうしたんですか?(驚かせてやろうと思って来たんだよ!)」「京都からの帰りですか?(違うよ! いったん昨日自宅へ帰ってから出直したよ!)」「はは、びっくりしたなあ(そんだけかよ!)」といった具合で、妙に淡々としている。
 あとで彼らは<あまりに意表を突かれたので……>と言い訳したけれど、どうなんだか。悔し紛れにぼくは、ポケットからクラッカーを取り出し、他のお客さんがいるのもかまわず、出し抜けにポンッと鳴らしてやりました。
 そのあとは閉店時間の八時すぎまで顔見知りの連中が次々と店へやって来ました。そのうちの何人かは子どもたちを連れています。もちろんお店が出来た頃には影も形もなかった小さな命たち。立派に手が生え、足が生え、そこらじゅうをはいずりまわり、ヘッドホンのコードを踏んづけ、レジカウンターへよじ登ってる。変わらないのはぼくたちオトナばかり。

 音楽は地球を循環する水に似ています。何度も何度も時代を越えてリバイバルした古い音楽も、昨日コンピュータの中で生まれたばかりの新しい音楽も、蛇口をひねってコップへ注げば、いつでもそれは冷たく新鮮で、心の乾きを一瞬で忘れさせてくれます。
 レコード屋はかつてどこのコミュニティにも必ずひとつはあった井戸のような存在でした。あるいは広場や公園の片隅にある水飲み場のような場所でした。
 時代が変わって、そんな場所から洗濯や料理のための水を汲んだり、喉を潤す人は減ってしまったけれど、自宅の水道はもちろん、コンビニやスーパーで金を払って、必要分の水をぼくたちは手に入れている。

 もう井戸や水飲み場は必要なくなってしまったのでしょうか?
 いや、ぼくはそう思わない。人が音楽の助けなしに生きられないように、また、水という存在を中心に欠いたコミュニティがありえないように、特別な音楽を手に入れるための、特別な場所はいつだって求められるはずです。デジタルメディアの登場で存在価値をいったん失くしかけたフィルムが、映画遺産を半永久的にアーカイヴするための優れた記憶メディアとして再生したように。
 ただ、そのためにはレコードショップにも新しい存在価値が必要になるのでしょう───言うまでもなくレコードやCDにも。
 ジムレコの二人にとっても、店舗という大きな荷物を下ろすと同時に、新しい存在価値の模索というけっこう重い荷物を背負ったはずです。
 ぼくはいまさらそんなややこしい荷物を背負う気にはならないけど(一応、ぼくも元レコード屋ですが)、向かうべき方向のアドバイスをしたり、景色の良い場所で一緒に休んだり、時々おむすびを差し入れするくらいのことはできる。それも含めてこれからもよろしくね、と彼らに伝えることができて嬉しかったです。
 夜はいっしょに美味しい酒が飲めたし。そして直接目にすることは無かったけれど、彼らもきっとベッドの中で先輩のやさしさに打たれ、枕を濡らしたことでしょう。