kyb7

テレビをつけると『月までロケットが飛ぶよ!』なんてニュースが流れていた時代には、きっと音楽もどこかへ飛び出さずに入られなかったでしょう。1968年に発表された『キリマンジャロの娘』は、正統マイルスファンからは「まとまりがなく散漫」とか「地味」とか、ずいぶんと言われちゃってる作品みたいなんですけど、まとまりがあって緊張感があって派手ならいいかというとそうともかぎらないわけで、音楽の評価というのはずいぶん難しいですね。

ジャズに興味を持った高校時代、地元の中古屋で無作為に買った何枚かのレコード(カット盤だったので国内盤の半額もしなかった)の一枚がこれでした。今でもマイルス作品の中では五指に入るくらい好きなアルバムです。残りの四指はけっこう入れ替わりも激しいのですが、これは右手の親指の位置から動いたことはありません(強いて言えば『Milestones』が右の人差指かな)。そのくせお金に困ったとき真っ先に処分してしまい、リマスター盤のCDをはじめて買ったカット盤とほぼ同じ値段でつい最近、買い直したんですけど。なにやってんだか。

BDMD

ジャケットに写っているブラック・ビューティーは、後にマイルスと結婚するベティ・デイヴィス(=ベティ・メイブリー)です。当時、帝王は42歳。ベティは23歳。彼女がスライ・ストーンやジミ・ヘンをマイルスに紹介し、それが彼の音楽に激しく影響を及ぼした……なんて蘊蓄は、高校生のぼくは知る由もなかった。でも大学生の頃、ジョン・ゾーンを入口に聴き始めたオーネット・コールマン、ドン・チェリー、アルバート・アイラーなどのフリー・ジャズ、あるいはサン・ラ、また同時期によく聴くようになったルーツ・レゲエやダブのレコードのような、もっともっとぶっ飛んだ音楽も、お小遣いの元を取るためだけにこのアルバムをしつこく聴いていたおかげで、すんなり受け入れられたような気がします。もちろんフリー・ソウル・ムーブメント華やかなりし頃、ベティがマイルスと離婚後に発表した数枚のアルバムも再発され、「ああ、あの時のお姉さん!」と”再会”を果たすことになりました。

MilesDavisBitchesBrew

六〇年代後半から七〇年代半ばのいわゆる”エレクトリック期”にリリースされた『オン・ザ・コーナー』『ビッチェズ・ブリュー』『アガルタ』『パンゲア』といった名作の類は、聴く時にただならぬコンセントレートが必要で、思わずスピーカーの前で座り直したくなるような気分になります。それらのアルバムが雷のような閃光を放ち、大音響とともに地上へ落ちたとき、どれほどの衝撃を人々へ与えたか───生まれてはいたけれど意識はなかった(当時0〜6歳)ぼくでさえ、なんとなく想像はつきます。まちがっても、コーラ飲みながら、ポテチ食べつつ、カウチに寝っ転がって楽しむような音楽じゃありません。

対してこの『キリマンジャロの娘』はまだ進化の途中段階で、どんな形にでも変化できそうな、スライムのようにブヨブヨとした柔らかなサウンドなのです。そう、まるであのSTAP細胞のように(笑)曖昧模糊とした性質こそが、聴き手の自由な解釈を受け入れる余地につながっている。だからこそ、いつどんな自分が聴いても楽しめるんじゃないのかな、と。

こうして人生も折り返しと呼ばれるような年齢になると、まだ自分が無垢だった頃に、新しく何処かへ飛び出すためのストレッチとしてどういうモノやヒトと出会っていたかということが、いかに重要であったか、とつくづく感じます。と同時に、リセットしたい出会いもいくつかついでに思い出すのですが、それはまた別の話。