「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい? 踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ」(村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』)

大阪梅田の老舗クラブ”カーマ”が年内閉店とのこと───。

初めてカーマでDJをしたのはTMVG結成前夜、おそらく1998年の年末辺りではなかったかと記憶しています。常盤響さんと池田正典くんと一緒でした。その夜、初めて目の当たりにしたノリくんのDJ……レコードをかけながら、まるでロックスターのようにフロアを煽る彼の姿、それに熱狂する大阪のお客さんたちの様子に、ぼくと常盤さんは「こんな感じでぼくらもやりたい!」と大きな衝撃を受け、それがTMVGのDJスタイルへダイレクトに繋がったのです。そしてそれを実践し、発展させていく場所だったのが、TMVGとして月イチでレギュラーパーティをやっていた、カーマとは駅を挟んで反対側にあるクラブ、noon.(当時はDAWN)でした。

その翌年、1999年のたしか2月だったと思いますが、テレビ番組「ロック・ザ・ルーツ」の最初で最後となった公開収録の会場として、カーマを使わせてもらいました。プロデューサーからは番組制作会社と同じ経営母体だった別のハコ(GRAND CAFE)を使うように促されたのですが、前述のパーティの良き印象が残っていたぼくが推し、カーマでの開催が決まりました。このイヴェントを日清食品が特別に協賛していた関係で、カーマの壁面にはカップヌードルのポスターがベタベタと貼られていました(ある地方でこの回をオンエアした時、競合する食品メーカーがたまたま番組をスポンサードしていて、その局と制作会社のあいだで大きな問題になったと後日聞いた)。インスタント・シトロンやラブ・パンダリンズにライブをしてもらったり、構成作家のモリタタダシくんや堀雅人くんも含め、東京からスタッフや友人たちも大挙乗り込み、実に楽しい夜となりました。

最後にカーマへ出演したのは2006年夏のこと。奇しくも共演は池田正典くんでした。小西康陽さんがレジデントを務めていたパーティ<レディメイド・ウィークエンド>にゲストとして呼んでいただき、ひさびさに小西さんと共演できる! しかもカーマで! と、ぼくはいつも以上に張り切っていました。しかし、パーティ前日にレディメイドの山崎マネージャーから小西さんが倒れたとの連絡が入りました。急遽、代打に抜擢されたのがノリくんでした。小西さんの病が重く、詳細も伏せられていたためにお客さんはかなり戸惑っていましたし、ぼく自身もそれを払拭するようなプレイができなくて、苦い思い出が残る夜になりました。

それから約七年。出演者としても客としてもすっかりごぶさたになってしまいましたが、DJとしてのぼくの基盤を作ってくれた大切な場所として、いつまでも心に残るカーマが無くなるのはとても淋しいことです。

お世話になった千鶴さん、越智くん。そしてカーマでお会いしたすべてのみなさんに感謝の気持ちをあらためて送ります。そしていつか営業を再開した時、またお声がかかるようにがんばっていたいなあ、と思っています。