昭和三十九年八月(一)

東京山荘

 初回にも書いたが、この夏の滞在は47日間という長いものだった。一家はそのあいだ山荘にずっと篭っていたのかというとそうではない。東京で何か用事があるたび、百合子は車で赤坂の自宅へ戻った。七月二十四日、七月三十日、八月十七日の計三回、いずれも一泊二日で百合子は東京と山梨を往復している。
 インフラ整備もまだ十分でなかった時代。現在では中央自動車道を経由して東京まで約一時間半ほどの行程だが、そのころのルートは国道20号線を使って片道三時間半の道のりである。
 昭和三十一年に免許を取り(泰淳に知られると止められると思い、こっそり取った。教習所へ通うために時々黙って家を抜け出す百合子に対し「外に男を作って浮気しているのではないか」と泰淳は疑っていた)、車も昭和三十五年に購入。運転歴としては十分なキャリアがあった百合子だが、道路状況も運転マナーも今よりもっと劣悪だっただろうから、けっして楽なドライブだとは言えなかっただろう。
 その証拠に百合子はドライブ中、この三回の往復のあいだにも一度、交通事故の現場を目撃している。

大月から藤野の間で身の毛がよだつトラックとトラックの衝突事故を見て、眠気が一ぺんに醒める。(七月三十日)

 百合子自身もトラブルに見舞われる。

相模湖大垂水峠でパンク。上りだったのでハンドルをとられただけだったが、下りだったら谷底へ落ちていたかもしれない曲り角だった。死んでもこれは仕方のないことだな。まじめに運転していてパンクしたんだから。(七月二十四日)

 引き写していて、おもわず笑ってしてしまう、百合子の達観。
 あわや命を落とすかもしれない大惨事から免れたとしたら、ふつう人はもっと興奮しないだろうか。誰も読まない日記とはいえ、もっとドラマチックに書かないだろうか。「まじめに運転していて」というフレーズが特におかしい。

 もし百合子たち(このとき花も同乗していた)が車ごと谷底に落ちていたとしよう。警察や夫の泰淳が事故現場にやってくる。鑑識係が現場検証をしている。クレーンで引き上げた自動車のタイヤがパンクしていて、ブレーキ痕やその他の状況から推測した警官が泰淳にこう告げる。
「お気の毒ですが、奥様の車はタイヤが運悪く峠に差し掛かったところでパンクし、それが原因で谷底へ落ちたのです」
 それを聞いた泰淳はこう答える。
「居眠りや運転ミスではないのですね。妻はまじめに運転していた。しかし運悪く事故を起こし、死んでしまった。そうですか、わかりました。それでは仕方ありません」

 東京と山梨の往復というのは、当然のことながら別荘での生活を切り上げるまで延々と続くわけで、今後の日記の中にも交通事故にまつわる印象的なエピソードがたくさん登場する。それはその都度、触れていこうかと思う。

silvercarcras

Andy Warhol “Silver Car Crash”(Double Disaster) 1963
 
 かのアンディ・ウォーホルが交通事故の現場写真をシルクスクリーン印刷で作品化した『死と惨劇』シリーズは、ちょうどこの前年にあたる昭和三十八年(1963年)に制作された。
 特に『銀色の車の事故(二重の災禍)』と題された作品は、2013年にウォーホル作品のなかでは過去最高となる1億500万ドル(約103億円)という驚異的な金額で落札され、話題となった。
 たまたま同時期……と片付けることは簡単だし、モータリゼーションが戦後の日本でも進んだことによるエフェクトなのはまちがいないが、ぼくの中では偶然のひとことで片付けたくない因果を感じてしまう。


 百合子が東京に戻ってすることは、大きく分けて二つある。まず泰淳のマネージャーとして、原稿料を受け取ったり、出版社の編集者たちと連絡を取り合ったりする。また主婦として、山の生活のための備品や生活必需品を補充したり、別荘のまわりで手に入らないような食料を購入したり、銀行や役所でさまざまな手続きをしたりといったこともぬかりなくする。運転に限ったことではないが、こうした雑事をきちんとこなし、泰淳が書くことに専念できるような環境を作るために、八面六臂で働く百合子には頭がさがってしまう。まあ、思い立って独断で別荘を一軒、ポンと購入できるバイタリティを持った女性だから、これくらいのことは些細なことだったのかもしれないが。

紀ノ国屋で、パン、チーズ、枝豆、大根、のり、茶、菓子を買う。枝豆も大根もそのほかの野菜も東京の方が新しくていいのを売っている。値だんだって同じなのだ。

 都会からちょっと離れた道の駅や産直市などに、安くて新鮮な魚や野菜を求め、わざわざ観光バスを仕立てて買い付けに乗り込む主婦……といった光景を、このところテレビで紹介しているが、今も昔も都会には上から下まであらゆるものが集められ、競争原理が働くことで価格もそれなりに抑制されているもの。
 忘れちゃいけないのは、百合子たちが別荘を構えた土地は、あくまでリゾート目的で新たに開かれた別荘地であり、人工的に作られた田舎なのだ。なんでもかんでも田舎が最高で、都会が最低と浮かれないところが、いかにも女性らしく現実的でクールであり、また百合子らしいと思う。