昭和四十年九月&十月(一)

 泰淳が朝日新聞に連載していた小説『中国忍者伝 十三妹(シイサンメイ)]』は、この年の7月12日から12月28日まで、約半年間の掲載だったため、このあたりがちょうど折り返し時期だった。
 多忙で時間が取れなかったのか、9月7日(火)〜10日(金)まで、21日(火)〜24日(金)までの計8日間の滞在のみ。
 別荘にいるあいだも、朝日新聞からは電話で原稿の催促が入ったり(8日)、2日にいっぺんくらいのペースで、富士吉田駅から列車便で原稿を東京に送ったりと、慌ただしい日々が続く。
 花の夏休みが終わったこともあって遊びもごく控えめだが、8日、原稿を送ったついでに、泰淳とふたりで本栖湖方面までドライブ。富士ヶ嶺別荘地の近くに立ち寄り、溶岩を拾い集めている。

赤い熔岩をバケツに二杯、ダンボール箱に一杯拾う。ここは入口は畠だが、奥に入ると樹海の中の道で、苔の生えた熔岩や赤い熔岩がある。主人は子供のように、赤い熔岩をみつけると駈け出して行っては拾い、よく見て気に入らないと棄てて、また、ほかのを見つけて駆けだす。(中略)「赤い熔岩好きなの? 私は何とも思わないよ、これ見ても」と言うと「百合子はアタマがワルイからな。これのよさがわからない。これを一杯集めて庭に敷きつめて赤い熔岩の庭にするんだ。雨が降るといいぞ」と言う。あつめるなどという言葉、主人にはめずらしいこと。(九月八日)

 アタマがワルイとストレートに悪態をつかれたせいか、さすがの百合子もめずらしく腹を立てたのかもしれない。ちょっと突き放したような調子で泰淳の様子を書き留めている。
 富士ヶ嶺別荘地は別名が〈富士ドクタービレッジ〉という。その名の通り、開発当初は医者専門の別荘地だったそうだ。当然のことながら、こちらも富士山の絶景が売りで、本栖風穴や青木ヶ原樹海なども近くにあり、総区画数1900の巨大な別荘地だ。現在は医者じゃなくても買えるらしい。かつての住所はオウム事件でその名を轟かせた上九一色村。現在は富士河口湖町に編入されている。

 次の10月も9月同様、はじめ(5日〜9日)と終わり(21日〜31日)の2回だけ滞在している。

 しかし、富士に戻って早々、その後の別荘生活に多大な影響を及ぼすことになるビッグイヴェントがあった。
 それは大岡昇平の来訪(5日)だ。大岡はこの日、武田家と同じ富士桜別荘地を見学に訪れ、武田山荘よりも少し離れた場所(16号地)に土地を購入。翌年の7月に別荘本体は完成し、それからは一番身近な隣人として、泰淳が亡くなるまでは家族ぐるみで、没後も百合子と付き合いが続いていく。
 その記念すべき日の日記はこんな感じだ。百合子は早朝からの運転と、ふとんや毛布の虫干しなどの作業をしたあと、ひとり昼寝をしていた。

私だけ眠っていると、大岡(昇平)さんの御一家が管理所のジープで来られる。「奥さん昼寝? 可哀そうだから起すなよ」。大岡さんの大きな声がしたので起きる。ねぼけたへんな顔しているといやだな、と思いながら服を着る。隣りの空いている土地など、方々を見まわる途中で寄られたとのこと。部屋の間取りなど見て、一休みして帰られる。大岡さんと奥様と息子さんが来られた。息子さんは建築の方を勉強されているらしかった。
 (中略)大岡さんはぶどう酒を下さった。帰りがけに奥様が「ここに置いてまいります」と小さな声でおっしゃった。もの静かな、和服の似合う人。こんな優雅な美しい人、私は知らない。(十月五日)

 妻の春江とは、彼が作家としてデビューする以前、翻訳担当として就職した会社「帝国酸素」で同僚として知り合い、1939年に結婚。夫妻はすぐに二人の子をもうけたが、戦況が著しく悪化していた1944年に臨時徴用され、フィリピンに送られる。その後、アメリカ軍の捕虜となった大岡は、自身の戦地体験をもとにデビュー作『俘虜記』や『野火』といった作品を書き、人気作家となる。
 そんな春枝とのツーショット写真が見られるサイトを見つけた。
 
文春写真館
http://books.bunshun.jp/articles/-/2857

 なるほど、女優のような佇まいのご婦人だ。
 しかし、大岡といえば坂本睦子との関係を思い出さずにはいられない。睦子は青山二郎、直木三十五、菊池寛、小林秀雄、坂口安吾、河上徹太郎といった錚々たるメンバーの情婦だった銀座のホステスで、大岡とも長年にわたる愛人関係だった。彼と別れた直後、彼女は睡眠薬自殺する。1958年4月の出来事だ。大岡はこの事件をモチーフに、同年8月から『花影』という私小説の連載をはじめ、翌年に完結させる。1961年には川島雄三が池内淳子主演で映画化したり、後年、ドラマ演出家の久世光彦も睦子をモデルにして『女神』という小説を書いた。
 もちろん百合子がこの一件を知らぬはずないわけで、そういったことを踏まえて読むと、また別の味わいが生まれる記述だ。

 ちなみに、百合子が建築の勉強をしていると書いていたのは大岡昇平の長男、貞一。当時、慶応大学に在学していたはずだ。1967年に結婚して、その後、渡米。ニューヨークの大学を卒業したあと、世界的な建築事務所デイヴィス・ブロディ・ボンドで働きはじめる。1972年に孫娘が誕生するが、大岡は所用で出かけたメキシコ旅行の帰り、息子たちの住むニューヨークへ立ち寄る。そして、孫娘の命名をめぐり、貞一と激しい諍いを起こす。この一件もまた彼の小説の題材となり『萌野(もや)』という作品として発表された。作家の家族というのはいつなんどき創作の材にされかねないわけで、実際なかなかハードである。