昭和四十年一月(一)

 年が改まって、昭和四十年。
 前年の年越しは散々(暖房設備も整わず、テーブルを拭いた布巾はおろか、鼻水まで凍った)だった武田家だが山暮らしも二年目。打って変わって穏やかな正月を迎えていた。
 元旦の食卓に並んだおせち料理はつぎの通り───黒豆、お多福豆、こぶまき、栗きんとん、だてまき、かまぼこ、ごまめいり(=これは田作りのこと)。あとは鳥肉や銀杏、紅白のかまぼこに三つ葉の入ったお雑煮。それとぶどう酒。
 午前十時、家族全員で富士吉田浅間神社へ初詣に出かける。帰りに河口湖、西湖、精進湖、本栖湖へ立ち寄り、午後三時に帰宅。
 遅い昼食は焼きサバと大根おろし。夕食はとんかつと大根の味噌汁が登場する。おせちはその後、一度も食卓に並んだ形跡がないことを見ると、よほど少量しか準備しなかったのだろう。

 新年になっても、日記に彩りを添えるのはひとり娘の花である。
 東京に戻れば、八日から寄宿舎生活がはじまる。冬休みの宿題も残っている。娯楽の王様であるテレビも別荘にはない。愛犬のポコも足の具合が悪く、元気が無い。彼女は正月のうららかさではなく、休み明けに始まる日々を想い、すこしだけアンニュイな心情を日記に記している。

きょう、朝起きたらポコの足が治っていないのでがっかりした。あした帰るか帰らないか相談したが、天気もよさそうだし、ポコのこともあるのでやめた。ちょっと東京に帰ってみたい気もするが、やはり、こちらの方がいい。八日から寄宿舎に入るが、何となくこころぼそい。でも一生けん命がんばるつもりだ(こんなことをいうとおおげさかもしれない)。(一月一日)

 
また、上に引用した日記のすぐあとの部分で、宿題について書いている。

やれば出来るが、すぐめんどうくさくなってやらなくなる。寄宿舎に入ったら、テレビを見ないし、みんながやるから出来るようになるだろう。(同日)

現在の立教女学院は 寄宿制度は廃止されているが、欧米の学校に倣って、二期制を取っている。前期が四月一日から九月三十日、後期が十月一日から三月三十日まで。ムック『武田百合子 天衣無縫の文章家』(2004年・河出書房新社)に掲載された花のインタビューの中にこんな発言がある。愛犬ポコについてだ。

中学一年のとき、寄宿舎に入れられちゃったんだけど、可哀想だからって、犬でも飼ってやろうかって。ポメラニアン。晩ご飯がハンバーグのときは、母がポコちゃんの分って、小さいハンバーグも焼いてくれて、一緒に食べました。

 親元を離れ、これから寄宿生活をする娘のために犬を飼う武田家。むしろ里心が強まって、ホームシックになるような気もするのだが……。
 また花子はこんなことも書いている。

本がだんだん好きになってきた。「一〇〇の有名な話」は歴史だがおもしろい。次に読むのはきまっていて「東海道ひざくり毛(原文ママ)」で、おもしろそうだ。
 それから、シェークスピヤ先生(原文ママ)がお書きになったマクベスというお話をときどき母からきいた。とてもすごそう。それも読みたい。母のお話はたいていマクベスと、よつや怪談のいえもんとお岩様の話だ。(同日)

 「一〇〇の有名な話」というのは、武者小路実篤が編者を務めたアンソロジー『少年少女のための100の有名な話』のことだろう。1960年から62年にかけて、日本文学編、外国文学編あわせて全六巻が実業之日本社から出版された。ただし国会図書館のデータベースなどもチェックしてみたが、どういったお話が収録されていたのかは、残念ながらよくわからなかった。
 「東海道ひざくり毛」は、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』を子ども向けに翻案した読み物だろう。
 この数年後───正確には1969年1月から『新・東海道五十三次』という新聞連載を、泰淳は半年間にわたって毎日新聞に執筆する。タイトルにあるとおり、百合子の運転で東京〜京都をマイカーで旅した紀行文である。この旅のアイディアはもともと百合子の発案で、免許を取り、車を所有して以来の宿願だった。

 マクベスは当然あのシェイクスピアの書いた四大悲劇のうちのひとつで、世界で最も知られた戯曲のことだ。
 ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ版、オーソン・ウェルズやロマン・ポランスキーが監督した映画版、また黒澤明が日本に舞台を変えて翻案した映画『蜘蛛巣城』もよく知られている。
 スコットランドを舞台にした、王位を巡る凄惨な闘いを描いた作品であり、年端もいかない娘に母親がたびたび語って聞かせるような話として、ふつうは選ばないだろう(まあ、四谷怪談もそうだが)。

 百合子は戦中に父を病気で亡くし、横浜の大空襲によって家財一切を焼失した。
 しかし、もともとは裕福な家庭の出である。実弟・鈴木修の回想によれば、自宅の蔵の中にはたくさんの本があり、百合子は蔵にもぐりこんで、朝から晩まで本を読んでいるような子どもだった。母・あさのは七歳の頃に亡くしているが、あさのは津田塾出身の才媛だったという。
 また女学校卒業後、百合子の最初の就職先は横浜の図書館だった。文学少女だった彼女はいずれかのタイミングで、坪内逍遥が訳した『マクベス』を手に取ったのかもしれない。

 両親との死別、一家の没落など、百合子は若くしてさまざまな体験をした。特筆すべきは祖父の鈴木弁蔵が関わったある事件。弁蔵は百合子の生前に殺害されている。これは「鈴弁事件」と呼ばれる、戦前の日本人なら誰もが知る猟奇的殺人であり、大きなスキャンダルとなった。弁蔵は被害者でありながら、世間から<悪人>とレッテルを貼られ、百合子たち遺族も少なからずその影響を被った。事件のあらましはインターネットなどでも拾えるので、ここでは省く。

きれいはきたない、きたないはきれい。闇と汚れの中を飛ぼう。(魔女、第1幕第1場)
消えろ、消えろ、儚い灯火!人生は動き回る影に過ぎぬのだ。(マクベス、第5幕第5場)

 百合子が生まれながら宿命的に背負わされた家族の業。それはシェイクスピアが好んで描いた”ファミリー・アフェア”そのものだ。

 一月二日も日記は花の独壇場だ。

きょうは、午後から西湖へ行った。風がずいぶんはげしく吹いていた。母は車の掃除。父は勝手に散歩に行った。私は車内でラジオを聞いていた。西湖の水はとってもすきとおっていて、白い石を投げると、どこに沈んだか、深さがどのくらいかわかる。(中略)紅葉台へ車で登った。すごい急でこわいぐらいだ。(中略)やっと頂上についた。左に西湖、右に富士山、そして富士山は、はじからはじまで不思ぎ(原文ママ)なぐらいによく見える。西湖はとても細長い。父は「筆で書いたようだ」と言っていた。富士山には右の方に三つのこぶがあり、あたまには大きな白い帽子、足は見えず、ペタンとすわった人のようだ。なんとなくそう考えると、かわいい感じがする。(中略)きょうはとても楽しかった。夜食はスパゲッティミートボールとパン。いま九時五十分きっかり。母はギターをひいている。父はねむっている。父の好きなボーボーいう石油ストーブが、すごいいきおいで、ボーボーボコボコ音をたてている。(一月二日)

 彼女が子どもらしいシンプルなことばで描きとった生活風景は、じつになにげないものだ。それなのに文章を目で追っていくだけで、別荘の空気感が伝わってくる。まったくすばらしい文章だ。夜もふけ、家族それぞれが互いを結びつけているロープを解き、思い思いに時を過ごしている。おだやかな時の流れが彼女の澄んだ眼差しを通して、こちらにもしんしんと伝わってくる。そして幼き日にいつか過ごした、ぼく自身の家族団らんの風景や懐かしい記憶と重なりあう。花の文章には母ゆずりの観察の鋭さと心地よい言葉のリズムがすでに備わっている。