昭和三十九年十二月(二)

hepsandal 武田家にとっても、日本にとっても、さまざまな変化のあった1964年がまもなく暮れようとしていた。
 いよいよ年も押し迫った12月26日に、彼らは一家揃って山荘へやってきた。
 この日から大晦日までの六日間の日記は、泰淳、花、百合子の三人が代わる代わる書いている。
 買い出しや年越しの支度など、主婦としての仕事を慌ただしくこなす百合子に比べて、年末らしくゆったりと過ごしていた泰淳そして花が、ひさしぶりに日記をしたためている。特にこの年末から翌年にかけてはタイトルとして付けた『ゆりこ、たいじゅん、はな』を地で行くように、みな思い思いに山荘での日々を書きつけている。ただ、このようにして三人が仲良く日記に取り組む日々は時が経つに連れ減り、中巻以降は滅多になくなってしまう。

 三者三様に書き込まれているぶんだけ、一日の記述が通常よりヴォリュームが増している。印象的なところも多く、それをすべて抜き出しはじめると増長になってしまうので、『富士日記』を手に取ってじっくり楽しんでほしい───では、この連載の存在意義が問われることになる。だからこれまでとは違う形で考察してみよう。

 まずはこの六日間の出来事を適度に要約してみる。

十二月二十六日(曜日と天気の記載なし) 東京発。大月駅に寄り道。ガソリンスタンドに立ち寄って、灯油を三缶注文(ひと缶330円)。チェーン用のバンド購入(450円)。東京を出るときにはくもり空だったが、大月を過ぎると雨が少し降りはじめ、スバルラインの途中からは雪か霜のような天気に変わる。別荘に到着すると、11月に頼んだ石門が完成している。代金は5万6千円。管理所の関井さんが来て、石屋の外川さんが「この石門には大骨を折った、とこぼしていた」という話をする。関井さんにビール三ダース、石炭一俵、プロパンガスのボンベを注文。止水栓を開けるのに往生する。/記述者:泰淳、百合子(※記載順・以下同)

十二月二十七日(日曜・くもり) 午前中に関井さんと外川さん来る。暖炉を囲んで談話。満州の兵隊時代の話などをする。外川さんがもぞもぞしながら「今日パーティ(=石門の完成記念)をやりたい」と言い、急遽、宴が決まる。武田家の用意するメニューは深沢七郎からもらった鳥の丸焼き、果物の缶詰、じゃがいものから揚げ。外川さんは鯉のあらいと鯉こくとみかん。関井さんに買ってきてもらった豚肉八百グラム(640円)を串かつにし、食卓に置いた電気なべで揚げた。パーティの様子はテープレコーダで録音。みんなで歌を歌ったりして愉快に騒ぐ。/記述者:泰淳、百合子

十二月二十八日(月曜・雪) 雪が積もる。花、泰淳、ポコ、朝食の前に庭でスキーをする。百合子は前夜の騒ぎがたたって朝寝坊。朝食は鯉こく、そしてまんがみたいに繋がったままのウィンナソーセージ。朝食後、ふたたび花はスキー。昼食のあとで昨夜のテープをみんなで聞く。花の感想「外川さんがとてもおもしろい。関井さんの声がおもしろい。父母は、関井さんはふだんまじめくさっているのに、歌には弱い、と笑っていた」。そのあとはまた外に出て、ソリ遊び。/記述者:花

十二月二十九日(火曜・晴れ 気温0.5℃) 朝食前に庭でござ滑り。朝食はパン、ソーセージ、鳥肉スープ、はちみつ、バター、紅茶。食後もござで遊ぶが、雪が凍っていたせいでスピードが怖いくらいに出る。昼食はうどん。昼食後、花は雪団子作り、百合子は車のワックスがけ、掃除。ポコの小屋の日干し。大工さんがカギの修理に来る。百合子「門柱の展望台にのぼると、河口湖も三ツ峠も間近に見える」。夕食は鮭の粕漬け、金山寺みそ、しおから、わさび漬。百合子のメモ「灯油燗は、大体三日で一罐使いきる」。/記述者:花、百合子

十二月三十日(水曜・晴れ) 鳴沢〜河口湖方面へドライブ。河口湖にて正月用の食材を多数購入。富士吉田にて長靴や防寒ヘップサンダルなど日用品を中心に買い出し。電気ストーブ(ナショナル・3700円)なども買う。福引は全部六等。河口湖畔で偶然、外川さんに出会い、泰淳だけワカサギ漁を見学。帰り道、外川宅へ寄って、ワカサギを分けてもらう。この数日前、都内で交通事故に遭った三木露風について百合子のメモ「三木露風が交通事故で重態だと、東京にいるとき新聞にのっていたが、今日の朝日新聞では死んでいる。ほかにはニュースなし」。泰淳はワカサギ漁のことを<追記>として長いレポートを書きつける。/記述者:百合子、泰淳

十二月三十一日(木曜・晴れ) 街に出ると、家々や車、鍛冶屋の機械にまでしめ飾りがつけられ、正月の準備がすっかり整っている。遅ればせながら、お飾りを買おうとするがどこも売り切れ。仕方なく花子が手作りした「へんなの」をつける。ポコの右足が急に動かなくなり、歩くときもびっこを引くようになったため、キンカンやサロメチールで応急処置。花のメモ「おおみそかの楽しみは、テレビですが、残念ながら見れません。でも、ラジオが聞けます。お菓子がいっぱいあります。ポコの事さえなければ、もっと楽しいおおみそかをむかえられたことでしょう」/記述者:花

 こうして抜き書きをすると、とてもよくわかる。
 泰淳が百合子に命じたように、一日の生活の中で起きた出来事を無意識に抽出していくだけで『富士日記』っぽくなるのだ。

 と同時に、泰淳や花がこの数日間に書いた日記は、百合子のそれにとても影響を受けていることに気がつく。そう、彼らこそが『富士日記』の最初の読者だったのだ。
 おそらく彼らは一年の締めくくりにあたって、百合子がここまで書いた半年分の日記を読みかえしたに違いない。特に二十七日の泰淳の日記などは、半年前に書かれたものと雰囲気が大きく変わっている。文章のそこかしこに漂っていた、文豪的ないかめしさは払拭されている。肩の力が抜け、とことんリラックスしている。
 二十六日の日記に泰淳はこんなことも書いている。

S氏の話によると、どこか一軒きていた別荘の人は、寒くてたまらないので帰京したという。去年の暮は、はじめての山暮しで、われわれも顔がひんまがりそうな寒さで閉口したが、今年は馴れているから心配はない。

 半年かけて積み上げてきた別荘暮らしのノウハウはもちろん、いざとなれば飛んできて力になってくれる関井さん、外川さん、あるいはガソリンスタンドの人たち───そんな人たちと培った関係こそが、泰淳の文章をほぐしていったのだと思う。
 一方で花も、ローティーンの女の子の無邪気さや、寄宿生活から解放されてひさびさに親元で暮らす楽しさなどが、母の日記を手本に書きつけられている。しかし、文章の持つリズムや物事に対する眼差しの向け方には、母親から受け継いだ涼し気な慈しみを感じさせてくれる。

 最初にも書いたが、この六日分に関して言えば、雑事に追われる百合子は泰淳や花に主役をゆずって、脇に回っているが、二十七日に開いたパーティの模様は、百合子らしいすばらしい調子で書き取られている。

 しかし───こんな形で世に出された『日記』は数あれど、いくら家族とはいえ、複数の書き手によって紡がれた日記というのは他にそう多くないのではないか。その一点だけでも、この『富士日記』の存在がいかにユニークなものであるか、という証明になっているだろう。