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 前園直樹さんが主催するライヴ&トーク・イヴェント『ラブショップ・デイ』第一回(二〇一一年七月四日)にゲスト出演しました。その際、五月に発売したぼくの本『レコード・バイヤーズ・グラフィティ』と絡めて、表題のとおり「音楽家が本を作る理由」をトークテーマに設定したのですが、まったく時間が足りず、用意していた資料は三分の一も紹介できませんでした。あの日、話し足りなかったことの、これまた何十分の一かを、この場を借りて書きたいと思います。
 ぼくがレコードを買うような感覚で、音楽家が作った本を最初に手にしたのは小6のとき。イエロー・マジック・オーケストラの写真集『OMIYAGE』(一九八一年・小学館)でした。写真集と銘打ちながら、中身は一種のヴァラエティブック。ワールドツアーのドキュメント写真と共に、雑誌「GORO」に掲載されたさまざまな関連記事の再構成、自宅紹介、YMOを主役にした谷岡ヤスジの描きおろし漫画、コンサートの使用機材リスト、アルバム『BGM』の歌詞と対訳(レコードには添付されてなかった)などがぎっしりと詰め込まれています。
 細野さんにはYMO時代だけでも二冊の著書『地平線の階段』(一九七九年・八曜社)『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』(同年・CBSソニー出版)がありますし、責任編集を務める雑誌『H2』(一九九一年・筑摩書房)を出版したことも(創刊号だけでポシャりましたが)。坂本さんに至っては、そもそも父親が河出書房の編集者であり、YMO解散後には自前の出版社(本本堂)を立ち上げるなど、現在も精力的に出版活動を続けています。
 既存メディアを通して送受信できる情報がきわめて限られた時代において、音楽家たちの作った本は、単なるファン・サーヴィスの域を超え、特にYMOのような、音楽以外のさまざまなカルチュアにも波及する巨大なうねりを作り得たアーティストにとっては、別の意味合いもあったように思います。批評家、学者、編集者、イラストレーター、デザイナーといった非音楽家たちを巻き込み、様々な二次元的表現で腕を奮ってもらう───こういった本はその貴重な場であり、ショウケースとしての機能を担っていました。そんな本からたっぷり滋養を吸って育ったぼくのような人間にとって、自分のレコードを作ることへの憧れと、本を作ることの憧れはごく自然に、また完全に、並立するものでした。
 そういった意味で、ぼくよりひと回り上のジェネレーションに属する人たちへ強烈な刺戟を与えたのは所謂<筒井康隆・山下洋輔文化圏>の面々だったのではないでしょうか。筒井、山下、赤塚不二夫、タモリ、坂田明、平岡正明といった人々が活字、音楽、テレビを通じて与えていた影響は今なお通奏低音として現代のサブ・カルチュアからも聴き分けることができます。上記メンバーが一同に結集した『定本ハナモゲラの研究』(一九七九年・講談社)や『空飛ぶ冷し中華』(一九七七年・住宅新報社)はその代表的著作であり、とりわけ山下洋輔さんの『風雲ジャズ帖』(一九七五年・音楽之友社)はかならず手に取ってみてほしい一冊です。文筆家としても才能を開花させた彼の初エッセイ集で、書簡、日記、対談、スケジュール表……そして肋膜炎を患っての療養中に執筆し、日本のジャズシーンへ強烈な一打を見舞った「ブルーノート研究」を収録。またエッセイ「ジャズについてなにを語るか」は音楽家自身が音楽について書くことの危険性、その恍惚と不安を、冷静に考察した名文だと思います。
 音楽家自身が研究の成果を著作で発表した───といえば、大滝詠一さんが『シンプジャーナル別冊 ゴー!ゴー!ナイアガラ』(一九八四年・自由国民社)に掲載した「分母分子論」も忘れるわけにはいきません。また武満徹さんのように批評やエッセイのほうが音楽作品よりはるかにとっつきやすく、魅力的に思える人もいます(失礼!)。
 海外に目を移せば、ジョン・ケージの著作は<音楽家が本を出すということ>の完璧な見本ですし、デイヴィッド・バーンの写真集やウィルコのアートブック『WILCO BOOKS』(二〇〇四年)もやはり、ぼくが愛してやまない<音楽家が作った本>の大傑作です。

From “DAY” 1.5 ISSUED BY LOVE SHOP DAY.