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昨日(5/6)高知県立美術館で開催されていた「高知家の宝もの 村山槐多からヨーゼフ・ボイスまで」という展覧会を見に行ったんですけど、ナム・ジュン・パイクの『カウベルはベートーベンの交響曲九番ほどに美しい : ジョン・ケージ 1958』という、1991年に制作されたインスタレーション作品が展示されていました。ドローイング以外の彼の作品を観たのは初めてのことで、軽く三十年越しの念願だったから、とても嬉しかったです。上掲の写真は同時期に作られた別のものですが、こうしたテレビモニタを組み込んだミクストメディアの作品を彼は<テレビ彫刻>と呼んでいます。

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上のロボット型の作品にはメーカーもよくわからない、アンティークっぽいテレビが組み込まれていますね。ぼくが観た『カウベルは〜』には、仏像がシンメトリーに設置された二台のテレビの上で寝っころがってる『Reclining Buddha(1994)』で使われているパナソニックの小型テレビとよく似たソニー製のテレビを10台くらい使ってました。ちなみに映像をテレビに送り出していたのは『Reclining〜』と同じパイオニアのレーザーディスクプレーヤでした。LDプレーヤはまだしも、作品の主役であるこうしたテレビモニターには寿命があるし、いつなんどき調子が悪くなるともかぎりません。トラブルが起こった場合のメインテナンスってどうするんだろうな。壊れたからといって、その中の一台でもテレビを交換してしまったら、作品の値打ちや評価ってどうなるんでしょうね? こういう修理や交換も、ちゃんとした修復家の人がやるんだろうか? 中古のブラウン管テレビなんて価値があるどころか、今やお金を払って処分しなきゃいけない時代。ネットオークションやリサイクルショップなんかで同じ型のテレビを運良く手に入れられたとしても、はい交換ってわけにはいかないだろうし。なにより、そういうふうに”修理”された芸術品の新しい価値って、誰が、どう決めるの……?

パイクの作品を前にそんなことを考えはじめてしまったら、あたまがグルグルしてきて、ゆっくり鑑賞するどころの騒ぎではなくなってしまいました。

YMOで産湯を浸かったミズモト少年のいたいけなハートを鋭く刺激してくれたナム・ジュン・パイク。彼の代表作である、ビデオアート版<愛は地球を救う>『グッドモーニング・ミスター・オーウェル』『バイ・バイ・キップリング』『TVオリンピック』といった作品は、日本でもダイジェスト版がテレビで放送されたので、ぼくと同年代の人なら記憶にあるかもしれません。

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ちなみにこれはぼくが大学の卒業制作として提出した作品です。いろんなものに影響を受けまくった挙句、そのどれよりも低いレベルで結晶化した、過去恥のひとつと云えましょう。大学卒業後、引越の際に八王子で粗大ごみに出してきたから、今はもうどこにもありません。